デザインは利用範囲を通常はビジネスに限って使われる。ビジネスに関係しない場合はアートとして扱われる。チャリティとして扱われるデザインはボランティアとして作業されたデザイン実装行為であってユーザーを想定して創作されるデザインでありビジネスと同等の行為と言うことができる。
このビジネスを具現化する行為をデザインと定義する。
ビジネスとして創作される行為となればビジネスの本来の目標は「できるだけ安価で仕入れてできるだけ高価に売る」が基本である。そのため入手コストは望小特性、販売価格は望大特性となる。
この望大特性、望小特性は品質工学で使われる用語で、出来るだけ大きいこと、または出来るだけ小さいことが望まれる特性を指す。
しかし望小特性といってもゼロで仕入れられるものは実在しない。それはビジネスをする本人のコストも考えれば決してゼロコストにはできないからだ。
そしてまた売価を望大特性にも出来ない。それは無限大という金額が存在しないからだ。
しかし人の欲望には際限がなく、稼いで、増やして、貯めて、一生で使い切ることができないほどの資産を形成してもまだ欲しがるのが人間の性である。
近代以降貨幣が全てのモノゴト交換の媒介(メディア)となって以降、野菜と米を交換するような物々交換は都市部ではほぼなくなり、全てのモノゴトに価格が付いた。
そのためどんなことにも交換できる貨幣を集めることを目的とする人々が登場する。さらにこの貨幣を無限に求める人が現れ、その欲望は金銭依存症と言える状態であろう。
このような状態でいることを無意味だと思うのが普通だが、人には競争心という厄介な欲望があり、一番の金持ちになりたいと言う人は少なからず存在する。
それは金は価値の代用特性として人間の共通認識となっているからであって、価値というものは概念であるから無限大という表現が成立してしまう。
では価値を表す代用特性は金銭以外にないのか?
さまざまな方法が試行されてきたが、金銭ほど価値を分かり易く表現できる手段を我々は持ち合わせていない。
しかしデザインは望大特性と忘小特性の間を的にしている。結果として条件に適した望目特性(品質工学の用語で目標値に近いほど望ましいとされる特性)を作り出すことになる。
デザインは元々望目特性を作るために発展してきた。
目標値の近くを狙い製品の可能性を限定していく行為、つまり与えられた目標に対し、可能な最も近い値を提示する行為そのものがデザインである。
望大特性や望小特性を描くのはデザインではない。デザインは望目特性しか描くことが出来ない。
デザインは現実化できないモノゴト描く、いわゆる「絵に描いた餅」を描くことはできる。しかしデザインは絵を描く行為だけでなく現実に具現化するまでの行為と定義してるいるから、「絵に描いた餅」はビジネスとして製品に仕立て上げるところまでを実現しないとデザインではない。
それはデザインは可視化することが求められるが、魔法ではなくその先の現実化できる、すなわち具現化できる製品を企てることが大前提の条件だからである。
さまざまな所与の条件を勘案、つまり調整して描くための思考がデザインという方法論である。
つまりデザインとは具現化できる条件を再提示することである。
デザインという方法論は、あらゆる世の中に実存するモノゴトを最適化することが可能な思考方法となる。
だから最適化という望目特性を導き出すデザインこそが良いデザインである。


コメント